彼の青春今日の僕は少し違った。いつもはゆっくりと景色を見ながら上っていた松林の坂を全速力で駆けのぼっていた。少し残っている夏の暑さが僕の額を汗で濡らして、少しいらっとしたけど、そんなの気にしてられない。なぜなら坂の上のバス停にあと2分以内に辿り着かなければならなかったから。今はただ走りまくってバスに間に合うことしか考えてられない。あのバスに乗らないと塾の模試に間に合わない。本当にぎりぎりのライン上を全速力で走っていたんだ。もう停留所に止まっていたバスに飛び乗った僕は少し周りからの視線が気になったものの、何にも気付かないふりして席に座った。炊飯器のあまりで作ったおにぎりをほおばりながら、模試の範囲を見直していると、すぐに次の停留所に着いた。僕の町はそんなに都会ってわけでもないから、乗ってくるのも5人ぐらいだ。同じ理由でその5人の中に知り合いがいることも少なくない。 長谷川がバスの中に入ってきた。でもだからどうとかいうこともなく、というか雰囲気的に親しくもなかった彼女に話しかけるなんてできなかった。目の前のクラスメイトよりも今は塾の模試の方が明らか大事だ。僕と彼女は3秒ほど目を合わせただけでお互いの世界に戻って行った。とりあえず模試だ。 塾というのは常に殺気に満ちている。右にいるのも左にいるのも順位争いのライバルだ。幼稚園からの友達だってこの建物の中に入れば完全に敵である。 そう思うと僕は孤独感に襲われて少し嫌な気分になる。実際に教室に入るとその殺気が増してさらに嫌な気分になる。その嫌な気分のままテストに臨むから嫌な点数になってしまうのである。でもそんなことは言わない。屁理屈って言われるから。だからせめてもの反抗で解答欄に「1」って書き殴ってやる。その結果、点数が嫌で仕方なくなる。 その2日後、同じバスに乗る。でもまた全速力で走ってぎりぎりのところで滑り込む。そして2日前と同じように視線を感じながら2日前と同じ席に座る。要するに僕は2日に1回こんなことをしているわけだ。自分でもあほらしいと分かっているのだが、ぎりぎりまでいつも友達と遊ぶ方をとってしまう。僕はバスの窓に頭をくっつけてガタガタ鳴らしながらバスからの景色を見ていた。模試がない日は本当に暇なバスの中だった。 今日も長谷川は乗ってきた。今日はそれなりに暇だったので少し手を挙げる。すると向こうも少しだけ手で挨拶してきた。そのまま長谷川は席に着く。それを見て僕も鞄から本を取り出す。バスはただ淡々と前に進んでいた。 その後も2日に1日は僕は同じバスに乗った。いつものように全速力で、いつものように視線を感じながら、いつものように同じ席に座る。変わらない毎日。 ただ一つ変わったといえば長谷川の座っている席だろうか。前までは隣の席の2つ後ろというかなり遠い席だったのだが、今は自分の席の後ろに座っている。なんだか少しいい気分になった。しばらくは何も話しかけてこなかったのだが、いい加減気になって話しかけてみた。 「なんで最近このバスに乗ってるんだ?」 「え?」少しだけ、ドキリとした。 「最近塾行き始めてここから乗らないといけなくて。」 「へえ。」 話が続かない。何かないのかよ俺!全く話題が思い浮かばない自分が腹立たしい。結局何も話さないまま彼女は降りていった。少し、寂しかった。 次の日、僕は教室で長谷川に話しかけてみた。でも、もともと気が強くて、クラスを引っ張っている彼女と僕はあまりにもかけ離れていて、全く話ができなかった。軽く話しかけてみたのに、結局話が続かないまま、「それだけ」とだけ言って、自分から離れて行った。どうも変な気分だった。 その次の日も今までと全く同じようにバスに乗る。季節は秋から冬に変わり、息は白くなった。その白い息を機関車のごとく吐きだしながら乗り込むと、いつも座っている席の後ろに長谷川がいた。 ジャンル別一覧
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